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2006.04.30

IQが高い人は美人がお好き

 よくナポレオン並のIQなどという言葉を聞く。
 いままではなんとなく、ほー、と聞き流していたが、よく考えてみれば、ナポレオンは知能検査など受けたことがあるのだろうか。

 そんな疑問に答えてくれるのが佐藤達哉『知能指数』(講談社現代文庫)である。
 IQ(知能指数)の生みの親であるドイツのシュルテンが、はじめてIQに関しての研究を発表したのは1912年のこと。
 当然、ナポレオンがIQをはかれたわけがない。
 ナポレオンのIQは、コックスという人が、伝記などを読んで推定でだしただけなのだ。

 本書は、知能指数による差別をなくしたいという意図のもとに書かれたものらしいが、そんなことより端々に挿入されたエピソードが非常に面白い。

 つい最近まで行われていた知能テストのなかには、美人と不美人の絵を見て、どちらが美しいか答える問題があった。
 知能指数が高いと美人を好むのだとははじめて知った。

 著者は、知能指数に関する差別にたいへん敏感なようだが、テレビのドラマを見てみよ。
 たいてい、バカだけど腕力と実行力のあるヤツがヒーローで、秀才君は青白くてカッコ悪い。
 これって、差別じゃないの?

 と、IQが高い?(かどうか知らないのだが)私は思うのだった。

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2006.04.28

必ずその独りを慎むなり

 島田虔次『大学・中庸』(朝日文庫)。
 「大学」は、ほかに講談社文庫『大学』、岩波文庫『大学・中庸』をもっているが、ユニークという点では、島田虔次版だ。

 「大学」は、いうまでもなく「四書五経」のなかのひとつ。
 軽く流し読みしていると、この一行に出合った。
 「故に君子は必ず其の独りを慎しむなり」
 これだ。今日はこれでいこう!

 別に私は君子ではないが、今日は君子になったようなつもりで仕事するのだ。
 まず、君子は悪を憎むこと悪臭を憎むがごとく、善を好むこと色を好むごとく、だと。ふむふむ。

 色を好むごとく、のフレーズが気に入った。今度だれかにいってみよう。「それは、ほら、色を好むごとく、だよ。『大学』にでてくるだろ。えっ、知らないの?」
 嫌われそうだ。若いころは、よく飲み屋で喧嘩を売られた。

 独りを慎む、とは、単に、人が見ていないからといって独りで悪いことしてはいけない、という意味ではないようだ。
 心の中で、自分の本性として、悪を憎み、善を好むようになっていなければならない、ということらしい。
 聖書にも、心の中で姦淫したら、実際に姦淫したのと同じことだ、というようなフレーズがあったような気がする。
 ふーん…。

 やはり、君子でいるのは私にはむずかしいようだ。
 それでも、少しだけ努力してみよう。色を好むがごとく。

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2006.04.27

文学上の刺客に会うのは文学者の宿命のようなもの

 昭和45年に三島由紀夫が割腹自殺したとき、私はまだ15歳の高校生だった。それまで、三島文学など読んだことのなかった私が、三島由紀夫にのめり込むきっかけになった事件だった。

 昭和55年に、ジョン・レノンが射殺されたとき、私は出版社の社員として働いていた。頼れる人間がひとりいなくなった気がした。

 1970年と1980年に出合った、このふたつの死は、私の記憶に深く刻まれている。
 三島由紀夫享年45歳、ジョン・レノン享年40歳。
 いつのまにか、自分が彼らよりも長生きしているのを、ときどき不思議に感じる。

 手元にある三島由紀夫の『太陽と鉄』(講談社文庫)は、発行が昭和46年になっている。事件からそうたっていない時期だ。
 いま、改めて目を通してみると、なぜか「若いな」という印象を受ける。
 もちろん、才気あふれる文体は、昔読んだときと変わらず魅力がある。しかし、「若い」と感じるのは、やはり、こちらが年をとった分、40そこそこの三島の稚気が感じとれるからだろう。

 併載されている「私の遍歴時代」に、三島が太宰治に会って、「僕は太宰さんの文学はきらいなんです」といったときの場面がでてくる。
 そして、自分があのときの太宰と同年輩となった今、自分も何度か、人に「あなたの文学はきらいです」といわれた体験をし、太宰のあのときの気持ちが察しがつく、と記している。
 「こういう文学上の刺客に会うのは文学者の宿命のようなものだ」と。

 とても、太宰や三島の文才に及ぶべくもないが、私も、人から、「君の文章はきらいだ」と何度かいわれるほどには経験を積んできた。
 だから、ちょっとだけ、太宰や三島の気持ちは察しがつく。

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2006.04.25

金がある人間ほど金を使わない不思議

 景気が悪くなってからだいぶたつが、素人考えで、景気回復の方法はひとつしかないような気がする。
 金持ってるヤツは使えよ!
 ということである。
 フリーライターの何倍も稼いでるヤツが100円ショップやブックオフに行くんじゃねえ! 海外旅行なんかに行かないで国内に金落とせ! パチンコにつぎ込んで北朝鮮援助なんかしてんじゃねえ!

 この辺でやめておく。
 バルザック『ウジェニー・グランデ』(岩波文庫)のグランデ爺さんの生きがいは、こっそり貯めた金をあかず眺めること。
 けちけち節約人生で、莫大な資産は使い道もなく膨れていく一方だった。
 セコセコ教育で、自分の家が大金持ちだとも知らないウジェニー・グランデは、金銭欲にとりつかれた従兄弟シャルルに捨てられてしまう。

 シャルルとの結婚を反対していた金の亡者グランデ爺さんのほうが、純真無垢な娘よりも人を見る目はあった。
 そして、金などに何の価値も見いださなかった娘のほうが大富豪となるのである。

 金は、欲しい人間の元にはなかなか集まらない。

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2006.04.24

砂漠の下に眠るという古代都市を見てみたくないか

 家の近くに小さくて汚い古本屋がある。ところが、この店、たまにとんでもない掘り出し物を並べているのだ。

 国枝史郎の『沙漠の古都』(講談社「国枝史郎伝奇文庫」版)もそのうちの一冊である。
 このシリーズは、ほかに『神州纐纈城』しか持っていない。滅多に古本市場にも出まわらないレアものだ。
 それが、この店では150円で手に入れられたのだ。超激安特価である。
 この作品は、国枝史郎が、外国の小説を翻訳したという形で雑誌に連載されたのだという。
 砂漠の地底に眠る古代都市、財宝が隠された南洋の孤島、襲いかかる有尾人……。
 なんとも、そそられるフレーズの羅列ではないか。
 150円の悦楽に十分酔いしれた(肝心の砂漠の古代都市には結局行かなかったんだけどね)。

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2006.04.23

人類が生命力を失つて行く過程に適応した政治思想

 それが、民主主義である、といったのは福田恆存である。
 翻訳家、劇団主宰者などの多彩な活動のなかでも、福田の辛口批評家としての仕事は、いまでも輝きを失っていない。

 福田さんは、ただの保守主義者ではない。日本ではまれな常識的思考ができる人だったと思う。
 『日本への遺言』(文春文庫)にまとめられた語録は、現在のマスコミ、とくに大新聞に、ぴったり当てはまる。

「民主主義政治の原理は、自分が独裁者になりたくないといふ心理に基づいてゐるのではなく、他人を独裁者にしたくないといふ心理に基づいてゐるのである」
「日本の進歩主義者は、進歩主義そのもののうちに、そして自分自身のうちに、最も悪質なファシストや犯罪者におけるのと全く同質の悪がひそんでゐることを自覚してゐない」

 自分が独裁者になろうとしているのに気づかない大手新聞、マスコミは多い。
 福田さんの言葉を引用しただけでも右翼のレッテルをはられかねないが、私は、何者であろうと、独裁主義やファシズムが許せないだけなのである。
 そして、ファシズムは、もっとも民主主義的な装いをしている者たちのうちにひそんでいることが多い。

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2006.04.22

生きておる人間は、目の覚めるまで、生きておるという夢を見ておるのだ

 雑誌の取材で、はじめて澁澤龍彦さんに電話したときに、この本のことを教えてもらった。
 カルデロン『人の世は夢・サラメアの村長』(岩波文庫)。

 澁澤さんは、意外なハスキーボイスで、本の名前をなかなか聞き取れなくて、何度も聞き返してしまった想い出がある。
 もうあのときから20年以上。そして、この本も買ってから20年目にしてやっと読むことができた。

 カルデロンは、17世紀イスパニアの劇作家。
 「人の世は夢」は、不吉な星の元に生まれて幽閉されていた王子が、夢と思いこまされて、一度だけ王座につかされたあとの騒動が描かれている。
 何度もでてくる「人生は夢」というせりふには、カトリック圏とは思えない東洋的な感性を感じる。
 劇としては、「秘蹟劇」というジャンルに入るらしい。

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2006.04.21

あと1年しか生きられなかったら、何を書くか?

 自分の命があと残りわずかだと知ったら、何を書くだろう。
 40歳を過ぎてから、何度か、こんな問いが浮かんだ。
 すでに、体のあちこちがぼろぼろで、同年代のライターの急死もあいついでいる。
 決して、空想的な問いではなかった。

 『日本中世の村落』(岩波文庫)を書いた清水三男にとって、同書がその答えだった。
 大戦中、いずれ出征すれば、帰れるという保証はない。そこで清水が残そうとしたのが同書である。
 事実、清水は、この本を書いてから5年後に、シベリアの捕虜収容所で人生を終えた。

 本の内容は、荘園制と、中世の村落のありさまをできるだけ忠実に描き出したものである。
 一般の人にはまったく関係がないテーマ、というわけではないだろう。
 ここに描かれている村落の人々の血は、自分にも直結している。だから、自分というものを知るためのひとつの資料なのである。
 最近、歴史の本を読むときには、そう思いながら読んでいる。

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2006.04.19

江戸の天下は喧嘩も事件も多い

 今日の朝の読書は、『摘録 鸚鵡籠中記』(岩波文庫)。
 朝日重章という尾張藩士が聞き書きした日記だという。

 よくまあ、喧嘩や火事や殺人や自殺があることあること。
 妹を釜で煮殺す女房。
 馬に睾丸の皮を食われた男。
 人を驚かそうと首吊りのまねをして、ほんとに首吊りになってしまった男。
 家人が帰ってきて逃げ出せなくなった空き巣が、あわててそばにあった白粉を顔に塗って飛び出し、家人を気絶させて逃げた話。

 こうして、並べられた事件を見ていると、現代がとくに事件が多いとは思えなくなってくる。
 また、いまも昔も、大衆がワイドショーネタに興味を持つのは変わっていないこともわかる。

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2006.04.18

きのうの自分と今日の自分は同じ?

 きのうの茂木健一郎『意識とはなにか』(ちくま新書)の続きだが、きのうの自分と今日の自分はなぜ同じと感じられるか、という興味ある問題にも触れている。

 小学校の入学式で見たお日様と、今日見ているお日様は同じように見える。
 しかし、小学生の自分と今の自分は、物体としてみればおそらくまったく違う細胞からできている。
 それなのにお日様が同じに見えるのは、私たちの意識の働きとして「クオリア」というものがあるからだという。

 クオリアとは、直訳すると「質感」という意味らしいが、脳科学では「あるもの」を「あるもの」と感じる能力のことだ。
 つまり、「りんご」は、いつ見ても赤くて丸い「りんご」に見えること。
 この「クオリア」のおかげで、世界はきのうの世界と同じに見え、きのうの自分と今日の自分は同じに思える。

 ところが、一方で、意識とは、絶えず変化し、生成されているのだという。
 自分の意識は、ひとつながりのもののように思えるが、実は、刻々と新しく生成されているものだというのだ。
 つまり、意識は、常に新しい事態に直面している、というようなことだろうか。

 意識は、このように、絶えず変化しているのだが、きのうのお日様も今日のお日様も同じに見える「クオリア」のおかげで、自分はいつも自分だと感じられるらしい。

 うーん。わかったようなわからないような……。

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2006.04.17

見ている人の見ているものを見ることはできない

 最近は脳科学の発達により、どのようなときに、脳がどのように働いているかがわかりはじめてきた。

 しかし、いくら脳のことがわかったからといって、では、私たちの「意識」とは何かというと、まだ、現在の科学では答えがだせない。

 自分が生きていて、世界がこのように見え、このように音が聞こえ、このように考えている。
 思えば不思議なことだ。

 たとえば、人間の脳と同じように複雑な回路をもつコンピュータをつくったら、そのコンピュータは人間のような意識をもつことができるのか。

 そのようなことは、現在の科学ではわからない、ということを、茂木健一郎『意識とはなにか』で知った。

 何かを見ている人が、それをどのように見ているのか、いくら脳の働きを調べてみても、第三者が知ることはできない。

 自分がなぜ生きていて、このような意識をもつことができるのはなぜなのか。
 死とはいったいなんなのか。
 それは、科学の最新で最終のテーマのようだ。

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2006.04.16

人の一念石の花をも咲かす

 一時期、珍しい岩石標本を収集していたことがあった。とくに、瑪瑙の薄切りにしたものはコースターとして使った。
 岩石が好きになったのは、小学校のときに母に買ってもらった岩石標本がきっかけだ。ほかの自然物に比べると、何か高貴な感じがした。
 ローマのプリニウスが『博物誌』のいちばん最後の巻に「石・宝石」を持ってきたのもわかるような気がする。

 明治の文豪、幸田露伴の『芋の葉』という随筆集に「菊石の話」という話が載っていた。
 菊つくりを趣味とする岐阜の白木さんという人が所有していた山から、菊の花にそっくりな紋様の石が採れたのだという。
 手元にあった、ロジェ・カイヨワの『石が書く』には、この石は載っていなかった。
 それで、白木さんの一句。
「一念の石に咲きけり菊の花」

 石にまつわる不思議な話は多い。それについてもおいおい書いていきたい。

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2006.04.15

地味で気重な稼業ときたもんだ…

 音楽や演劇の派手なパフォーマンスに比べて、物書きの仕事は、実に地味なものだ。何より、孤独でひっそりした仕事である。一冊の本を書き上げても、何か劇的な事態が起こるわけでもなく、当の本ができあがってくるころには、すでに別の仕事に入っている。
 何故、このような地味でむくわれない仕事を続けるのか……。

 というような甘えた気分を吹き飛ばしてくれたのが、井波律子『中国文章家列伝』(岩波新書)である。
 逆境を乗り越え、貧窮に苦しみながらも、書くことへの執念を失わなかった10人の文人像が描かれている。

 宦官となって生き恥をさらしながらも大冊『史記』を書き上げた司馬遷、乱世の濁流に飲み込まれながらも書くことをやめなかった顔之推、などなど。
 一筋縄ではいかない文人たちの生き方から、ああ、自分などまだまだ、と思わされたのだった。

 書く、という行為は、きっとそうとうな執念を持たなければ続けられないものなのだろう。
 この日記は、いつまで続けることができるだろうか……。

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2006.04.14

手前、昭和の生まれでござんすが……

 最近、生まれ年を尋ねると、西暦で答える人も多くなった。
 私は西暦で答えられてもいまひとつピンとこない。それで、「っていうと昭和で何年?」と聞くのだが、「私、年号なんてつかわないから」という。
 一人の人間の生死によって年号が決められるのはおかしい、というのだ。
 それなら、西暦だって、たった1人の人間の誕生年によって決められているのだからもっとおかしいと思うのだが。

 年号にしろ、西暦にしろ、便宜的に使っているだけで、とくに意味などない。天皇制云々に関係なく、私は年号で生まれ年を聞いた方がわかりやすいというだけだ。もちろん、ふだんは西暦を使うことのほうが圧倒的に多い。

 藪内清『歴史はいつ始まったか』(中公新書)によれば、西暦(キリスト紀元)のほかに、イスラム圏では「ヘジラ紀元」、仏教圏では「仏滅紀元」などが現代でも使われている。
 しかも、イスラム諸国では、世界の主流を占める「グレゴリウス暦(太陽暦)」ではなく、「イスラム暦(太陰暦)」が使われているのだ。断食月のラマダーンもイスラム暦での月の呼び名だ。
 西暦しか認めないというのなら、これらの文化に対する差別ともいえるだろう。

 暦法や年号に異常にこだわるのは、時間のご不自由な人としかいいようがない。

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2006.04.13

メーテル、じゃなくてエーテルの話。中国変革者の夢

 突然、科学の話で恐縮だが、19世紀末、まだアインシュタインの相対性理論が生まれる前は、宇宙は「エーテル」という物質で満たされていると科学者たちは考えていた。
 もちろん、エーテルなんてものがないことは今ではわかっている。ま、ひとつのトンデモ学説だったに過ぎない。

 しかし、当時としては最新学説だった「エーテル」を、自説にうまく取り込んで、『仁学』(岩波文庫)という本を書いたのが、清朝末の譚嗣同(たんしどう)である。
 社会変革の活動家であった譚嗣同は、孔子、キリスト教、仏教の知識と、エーテル説を調合し、変革の書『仁学』を書き上げた。

 最近、最新の科学知識と、東洋思想と、通俗道徳感を混ぜ合わせたような、人生論の本がよく売れているようだが、その先駆けとなった本でもあろうか(もちろん『仁学』には遠く及ばないが)。
 書名はあげないが、「波動」とか「気」とか「量子論」などという言葉をよく使う本がそうだ。

 笑止なことに、この『仁学』の訳者も、解説で、気功師がだす「気」が科学的に証明されたようなことを言っている。ぷっ、かわいい。

 そんなことはともかく、譚嗣同は、この本のなかで、見習うべき国として日本をあげている。
「(日清戦争で)日本が勝利したのは、西洋諸国の仁義のためのいくさをよく見ならって、公法をかたく守り、君にだけねらいをつけて民に敵対せず、それで余計な殺しは避けたからだった」

 なんでもかんでも「日本が悪かった」派の連中にこそ読んでもらいたい本だ。

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2006.04.12

ダメでもともと… この言葉に何度はげまされたことだろう

 仕事に行きづまったとき、くじけそうになったとき、手にとりたくなる本がある。

 私にとっての、そのようなときの本は美内すずえ『ガラスの仮面』(白泉社)だ(恥ずかしながら)。

 かつて、この漫画を仕事の途中で読み始め、買った巻を夜中に全部読み終わり、朝になって本屋が開くのを待ちきれない思いで待っていたことがある。

 テーマとなっている演劇は、かつて私も片足を突っ込んだことのある世界であり、感情移入もしやすかった。

 落ち込んだときにいつも手にとるのは、文庫版13巻目。芸能界を追放されてどん底まで落ちたマヤが、自分の力ではい上がろうと、劇場のオーディションを受けるシーン。劇場のロビーで一人制作主任を待ちながら、マヤがつぶやくのだ。

「ダメでもともと… いままで何度この言葉にはげまされてきたかしれやしない… ~ 自分の運命の扉を開くことができるのは自分のこの手だけ…!」
 この辺で胸が熱くなってしまう。

 そして、私も、自分の手を見つめながら、自分にこう言い聞かす。
「ダメでもともと! この手だけ!」

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2006.04.10

好いた事をして暮らすべきなり。ほんとにいいんですか?

 ふだん読む本は、仕事の関係上、ほとんどが実用書だ。私は、実用書で食べさせてもらっているので、実用書というものには特別な愛着がある。
 たまには実用書以外の本も読みたいときがあるが、やはり仕事のほうが優先してしまうのだ。

 そこで、自分でノルマをつくり、1日何十分かでも仕事に関係のない本を読むことにしようと思った。
 だから、この日記には実用書はほとんど出てこない。それは、実用書が嫌いだからではなく、ふだん、あまりにも親密に付き合いすぎているからなのだ。

 さて、おそらく実用書に近いくらいこれまで親しんでいるのが、三島由紀夫の『葉隠入門』だ。もちろん、山本常朝自身の『葉隠』(岩波文庫)も持っているが、仕事の合間に読むのにはこちらのほうがちょうどいい。

 たとえば、
「七呼吸のあいだに判断せよ(古人の詞に、七息私案と云うことあり)」
 何かを判断するときに時間がたてばなまくらになってしまう。こだわりなく、さわやかに、凛とした気持ちになれば、七呼吸の間に判断がつくものだ。
 おー、実用的! 原稿で迷ったとき、さっそく実行してみます。

 また、たとえば、
「仕事に関しては、大高慢で、死に狂いするくらいがいい(武士たる者は、武勇に大高慢をなし、死狂ひの覚悟が肝要なり)」
 はい、心がけます。

 でも、一番気に入っているのは、
「人間一生、まことにわずかの事なり」
 だから、好きなことをやって暮らすべきなり。夢の間の世の中にいやなことばかりして苦しい目にあうのは愚かなこと。若い人には悪く解釈される恐れがあるので言わないが、これが秘伝である。私は寝ることが好きだ。だから、これからは、家で寝てくらそうと思っている……。
 だそうだ。
 では、お言葉に甘えまして……、といかないのがつらいところだなあ。

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2006.04.08

立花隆を号泣させた一冊! 日本人なら読むべし!

 いつか、あるテレビ番組で、立花隆氏が、一冊の本を朗読しはじめた。だが、その声は途中で途切れた。
 泣いている。あの立花氏が、本を読みながら泣いているのだ。

 立花隆氏を号泣させた一冊が、吉田満『戦艦大和ノ最期』(講談社文芸文庫)である。
 大和乗務員の数少ない生存者、吉田満氏が記した大和最期の闘いの記録だ。

 大戦末期、空からの特攻隊があったことはよく知られているが、大和も「海上特攻隊」として、帰るあてのない玉砕戦で散ったことはあまり知られていないようだ。

 大和の乗組員3000人余り。すべて自分が死ぬことがわかっていて出発したのである。
 彼らの苦悶は、本書のこの1行が代表しているだろう。

「~俺の死、俺の生命、また日本全体の敗北、それを更に一般的な、普遍的な、何か価値というようなものに結びつけたいのだ これら一切のことは、一体何のためにあるのだ(原文カタカナ)」

 迫りくる死に備えて、自分の死の意味、自分が生きていた意味を知りたい。その切実な思いが伝わってきて胸に迫る。

 吉田氏は沈着に、傾きつつある戦艦の最後の闘いを記していく。文語体、カタカナの本文はけっして読みやすくない。吉田氏は、文語体を使った理由として、
「死生の体験の重みと余情とが、日常的に乗り難い」
 と書かれているが、生死の境をくぐってきた人の言葉として重みがある。

 今日、私たちが平和に暮らしているのは、別に私たちの力によってではない。彼らのような犠牲の上になりたっていることを忘れてはならないだろう。

 死を眼前にして、乗員のひとり臼淵大尉は、自分を納得させるかのように、こうつぶやく。

「進歩ノナイ者は決シテ勝タナイ 負ケテ目ザメルコトガ最上ノ道ダ
日本ハ進歩トイウコトヲ軽ンジ過ギタ 私的ナ潔癖ヤ徳義ニコダワッテ、本当ノ進歩ヲ忘レテイタ 敗レテ目覚メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ワレルカ 今目覚メズシテイツ救ワレルカ 俺タチハソノ先導ニナルノダ 日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサニ本望ジャナイカ」

 立花氏を号泣させた一節である。

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2006.04.07

ぶら下がった下駄と赤いこうもり傘

 子どものころに、少しでも名作といわれるものを読んできてよかったと思うことがある。
 名作といっても、子供向きにダイジェスト版にしたものはダメだ。読んだつもりになって一生読み直そうとはしないから。

 大人になってから読み返してみて、つくづく子どものころには何もわかっていなかったのだと思う。
 それで、自分も成長したのだと、ひそかな満足感を得ることができるのだ。

 夏目漱石の『それから』を読み返してみた。中学生のときから、これまで何度かこの本を読み返している。
 漱石のなかでも、なぜ、『それから』を選んだのかわからないが、今思えば、割といい選択をしたのではないかと思っている。
 私の知人にも、『それから』を愛読している人が何人かいる。映画化もされている。
 この小説、けっこう問題作なのである。

 一言で言ってしまえば、社会不適応者の不倫物語なのだが、そのテーマが現代にも十分通じているのだ。
 友人の奥さんを奪ってしまう。今でも十分ありうる。職に就かないでフリーターをしている。現代そのものだ。
 しかし、これを中学生が読んでもわからないはずだ。
 特に、終盤の急展開で、これほど緊迫した場面が続いているのには、今回はじめて気がついた。
 一度読んだ本を読み返すと、得したような気分になる。
 
 それから、『それから』を読むたびに、視覚的なイメージが頭に焼きつく。
 それが、冒頭の「大きな爼板(まないた)下駄」と、最終部の「赤い蝙蝠傘」である。

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2006.04.06

聖地を結ぶネットワークと夢見について

 これまで唯一海外旅行に行ったのはエジプトだ。このとき、ギザのピラミッド近くにある石切場を見せてもらった。
 あの、大きな石をどうやって切り出すのか。
 石の「目」にそって、いくつも小さな穴を開け、そこに木の棒を差し込んで水をかける。棒が水を吸い込んで膨張し、石は「目」に沿ってぱきんと、きれいに割れる。

 植島啓司『聖地の想像力』(集英社新書)によれば、このような石切場が、エルサレムのような聖地になったという。
 そして、聖地は絶対場所を動かないのだそうだ。エルサレムは、ユダヤ、キリスト、イスラムのほかに、100以上の宗教の聖地だった形跡があるという。

 宗教にとって、いちばん大事なのは、神と特定の場所との結びつきだということだ。日本の神社などを考えてみても、なんとなく納得できそうな気がする。
 それで、神話とは、物語であるとともに地理学でもある、という著者の話もなるほどと思わせる。

 日本の高野山、熊野、吉野、天川なども、いまは交通機関がなくて行き来に不便だが、実は古道を使えば、意外と近いのだそうだ。
 つまり、これらの聖地には、現在では見えないネットワークがあったということだ。キリスト教の聖地も同じらしい。

 もうひとつ面白かったのは、聖地とは「夢見の場所」であったということ。ふーん。

 著者はグラハム・ハンコックのインチキ本などを信じている節があるのだが、新しい発見はたくさんさせてもらった。

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2006.04.05

人肉を食らへる野蛮人! そ、それはちょっとまずいんじゃ…

 ある時、突然訪ねてきた中学の友人が、「あのさ、進化論て、やっぱり間違ってるんだよな」と、興奮の面もちで話し始めた。進化論とは、ダーウィンの進化論のことである。
 キリスト教系の新興宗教に入信したのだった。

 また、ある時、某カルチャーセンターで講師のまねごとをしていた時に、生徒のひとり(中年のおじさんだけど)が、
「人間て、アダムとイブから生まれてきたんじゃないらしいですね!」
 と、驚きを隠せない様子でたたみかけてきた。
 熱心なキリスト教信者だった。

 アメリカでは、いまでも、州によって、ときどき、進化論を教える、教えないでもめている。

 このような話を聞くとき、日本人の多くは、不思議な感慨を抱くのではなかろうか。
 この人たち、ほんとうに聖書の内容そのものを、頭から信じきっているのか?

 岩波・新日本古典文学大系の明治編に『キリスト者評論集』がある。
 明治期のキリスト者が、文学者たちにも大きな影響を与えていることは伊藤整『日本文壇史』で知った。

 本書には、何人かのキリスト者が選ばれているが、今日はそのうち、植村正久の「日本の基督教文学」を読んだ。
 植村正久は、多くの文学者とも親交があり、自らも積極的に評論活動をした。
 東京大学の教師たちのなかに「極端なる無神主義進化論を唱ふる」者がいたことも書いている。
 このころの日本では、進化論信者と反進化論者が両立していたようだ。

 また、当時は、まだ聖書も賛美歌も、ちゃんとした日本語訳がなかった。
 なにしろ、
「耶蘇我れを愛す 左様聖書まをす」
 というような賛美歌しかなかったのだ。

 このような状況のなかで、先覚たちがいかに聖書、賛美歌の日本語訳に奮戦したか、よくわかるでまをす。
 植村たちの高揚感が伝わってきて、キリシタンでもないのに胸を熱くするものがある。

 だけど、こんなこと、今じゃ絶対書けないな。キリスト教の教化がいかにすばらしいかを説いた部分だが。
「……ハワイと云ふ。人肉を食へる野蛮人の住居するところなりしが、……」

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2006.04.04

寺山修司の鬼才とスウィフトの奇才

 寺山修司率いる「天井桟敷」の『奴婢訓』を国際貿易センターまで観にいったのは、まだ20代のはじめのころだった。
 衝撃だった。
 いっぱしの演劇青年のつもりだった私は、天井桟敷に入団しようかと思ったくらいだった。
 当時の演劇誌には、天井桟敷の入団案内が必ず載っていて、「小人、せむし、大女大歓迎」みたいなことが書いてあった。

 私の手元には、いつか古本屋で100円で手に入れたスウィフトの『奴婢訓』(岩波文庫)がある。
 怪作である。寺山らしい、と思った。

 しかし、この本で真に驚くべきは、併載されている、
「貧家の子女がその両親並びに祖国にとっての重荷となることを防止し、且社会に対して有用ならしめんとする方法についての私案」
 のほうである。

 スウィフトが、この檄文がごとき風刺文を書いた当時、彼が住んでいたアイルランドは貧窮を極めていた。
 スウィフトは、その救済のため、いくつかの政策案を提案するが、受け入れられなかった。

 そこで、書かれたのが、この強烈な一編だった。
 何しろ、「私案」というのは、貧民の赤ん坊を売って食材にしようというのだ。
 わずか10頁余りのこの小編に戦慄した。
 私は、一生風刺文などというものを書く気にならないだろう。

 あのとき、奇才スウィフトと鬼才寺山修司が激突した舞台を観ることができたのは、思えば幸運だったとしかいいようがない。

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2006.04.02

つげ義春とぼくとぼくの見る夢

 作家のなかで、夢について書くのがうまいと思うのは、島尾敏雄、内田百閒、安部公房など。
 漫画家では、蛭子能収、そして、つげ義春である。

 およそ、人の夢の話を聞かされるのはたいくつなものだ。このまえ読んだ『人さまざま』でも、「無駄口」という項目に「昨夜見た夢について、長ながと話してきかせる」とあった。

 ところが、先に挙げた作家・漫画家の描く夢は、少しも退屈しない。
 なかでも、『新版つげ義春とぼく』に掲載されている、つげ義春の「夢日記」は面白い。面白いというより、変、といったほうがいいかもしれない。

 自身のイラスト付きで、いやに細かく描写された夢の風景は、たしかに、いつか自分も同じような夢を見たと思わせるような説得力がある。

 「部屋で正座していると、左足の膝の少し上あたりにイボのようなものがある。つまんでみるとプツリと千切れる。何だかわからない。爪をたててもう一度つまんでみると、細いヒモのようにズルズルと蛇の尾が出てきた」

 このような夢を以前、ほんとうに見たような気がしてくるのだ。そして、何より、夢日記とはいいながら、これは、つげ義春の描く漫画の世界そのものだ。

 『新版つげ義春とぼく』には、この「夢日記」のほかに旅日記、回想記、イラスト集が入っている。
 しかし、どこを読んでも、それは、つげ義春の体験なのか、夢なのか、それとも読んでいる自分が見た夢なのか、定かではなくなってくる。

 こうして、知らないうちに、つげ義春ワールドにみごとにはまってしまうのである。

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2006.04.01

芥川は2人いた?! 怪奇現象は芥川を襲ったか?

 ことの始まりは、私がかかわっていたあるテレビ番組で、「ドッペルゲンガー」という現象を調査していたときのことだ。

 ドッペルゲンガーとは、目の前に、自分と同じ姿の、もう一人の自分をみてしまう不思議な現象で、これを見ると死ぬという言い伝えがあった。

 このドッペルゲンガーを芥川龍之介が見た、というネット情報があった。
 情報源を調べてみると、これもあるテレビ番組だった。どこかの大学の先生が、芥川が何かの対談で、帝劇でドッペルゲンガーを見たと語っている、というのだ。

 すでにネット上では、芥川がドッペルゲンガーを見た、という情報が常識であるかのように流れていた。

 そこで、この話の裏をとるべく、岩波版『芥川龍之介全集』で、芥川の対談すべてに目を通してみた。

 結果、芥川がドッペルゲンガーを自分で見たと語っている部分はなかった。
 その代わり、外国ではドッペルゲンガーというのがあるそうだ、と語っている部分はあった(注1)。

 さらに、このとき一緒に仕事をしていたKさんから、芥川が『歯車』のなかで、帝劇でドッペルゲンガーが起こったことを書いていることがわかった(注2)。

 これで真相が判明した。あの大学の先生は、芥川の対談と『歯車』の内容をごっちゃにしてしゃべっていたのだ。
 故意かどうかは不明だ。

 間違った情報でも、またたくまに、コピー増殖されていくネットの怖さを改めて感じたのだった。

 蛇足だが、次の『歯車』の一節は、芥川が偏頭痛持ちだったことを証明する文だという。
 偏頭痛には、いろいろな前兆現象が起こる場合があり、これは、視覚的な前兆現象であるという。

「~僕はそこを歩いているうちにふと松林を思い出した。のみならず僕の視野のうちに妙なものを見つけ出した。妙なものを?--と云うのは絶えずまわっている半透明の歯車だった。僕はこう云う経験を前にも何度か持ち合わせていた。歯車は次第に数を殖やし、半ば僕の視野を塞(ふさ)いでしまう、が、それも長いことではな、暫くの後には消え失せる代わりに今度は頭痛を感じはじめる。」


※注1
「馬場 誰でしたか狂人になって居るときに自分と同じ姿を部屋に見たといふ話がありますね。
 畑 ゲーテにありますね、同じ姿を見たのは。
 芥川 西洋でも自分と同じ顔を見ると後で死にますね。
 芥川 独逸人の話ですが、スルクの町の宝石屋なんだが、その男が町の角を歩いて居ってその角を曲がると向ふから曲がって来た人にぶつかった。顔を見合わせたらそれが自分だったといふ話をしたさうです。その男が材木の山を持って居るのだが、翌日になつてその材木を伐出して居るのを見て居る時に、材木が自分の方へ倒れて死んださうです。そんな話を集めた本がありますよ。」
(1924(大正13)年7月1日及び5月1日発行の『新小説』第29年第4号、第5号『怪談会』)

※注2
「しかし亜米利加の映画俳優になったKの夫人は、第二の僕を帝劇の廊下に見かけていた。(中略)それからもう故人になった隻脚の翻訳家もやはり銀座のある煙草屋に第二の僕をみかけていた。」
(『歯車』)

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