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2006.04.05

人肉を食らへる野蛮人! そ、それはちょっとまずいんじゃ…

 ある時、突然訪ねてきた中学の友人が、「あのさ、進化論て、やっぱり間違ってるんだよな」と、興奮の面もちで話し始めた。進化論とは、ダーウィンの進化論のことである。
 キリスト教系の新興宗教に入信したのだった。

 また、ある時、某カルチャーセンターで講師のまねごとをしていた時に、生徒のひとり(中年のおじさんだけど)が、
「人間て、アダムとイブから生まれてきたんじゃないらしいですね!」
 と、驚きを隠せない様子でたたみかけてきた。
 熱心なキリスト教信者だった。

 アメリカでは、いまでも、州によって、ときどき、進化論を教える、教えないでもめている。

 このような話を聞くとき、日本人の多くは、不思議な感慨を抱くのではなかろうか。
 この人たち、ほんとうに聖書の内容そのものを、頭から信じきっているのか?

 岩波・新日本古典文学大系の明治編に『キリスト者評論集』がある。
 明治期のキリスト者が、文学者たちにも大きな影響を与えていることは伊藤整『日本文壇史』で知った。

 本書には、何人かのキリスト者が選ばれているが、今日はそのうち、植村正久の「日本の基督教文学」を読んだ。
 植村正久は、多くの文学者とも親交があり、自らも積極的に評論活動をした。
 東京大学の教師たちのなかに「極端なる無神主義進化論を唱ふる」者がいたことも書いている。
 このころの日本では、進化論信者と反進化論者が両立していたようだ。

 また、当時は、まだ聖書も賛美歌も、ちゃんとした日本語訳がなかった。
 なにしろ、
「耶蘇我れを愛す 左様聖書まをす」
 というような賛美歌しかなかったのだ。

 このような状況のなかで、先覚たちがいかに聖書、賛美歌の日本語訳に奮戦したか、よくわかるでまをす。
 植村たちの高揚感が伝わってきて、キリシタンでもないのに胸を熱くするものがある。

 だけど、こんなこと、今じゃ絶対書けないな。キリスト教の教化がいかにすばらしいかを説いた部分だが。
「……ハワイと云ふ。人肉を食へる野蛮人の住居するところなりしが、……」

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