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2006.08.18

未練も執着もない無碍(むがい)な境地

 以前は、私も、変わった岩石や貝殻などをコレクションしていた時期があった。
 しかし、ある体験がきっかけで、コレクションなぞ金輪際やめてしまった。

 その体験とは、愛媛県宇和島の多賀神社凸凹神堂に行ったことである。
 神堂と名は付いているが、実は博物館だ。古今東西のあらゆる性に関する民具、道具、絵画、彫刻などの「性文化財」が集められている。
 三階建ての建物のなかは、展示台、壁面、天上に至るまで、びっしりとそれらの展示物で埋め尽くされている。
 圧倒された。
 性の煩悩など吹き飛んでしまいそうだ。

 なんでも、ここの神主さんが、親子二代にわたって蒐集したものであるという。
 とても全部は展示しきれなくて、何日かごとに展示し直しているのだそうだ。
 そこらの「秘宝館」などとはまったくスケールが違う。
http://www1.quolia.com/dekoboko/
 間違いなく、世界一の性博物館である。

 ともかく、この寺(神社)に行ってから、ばからしくて、ケチなコレクションなどやめてしまった。
 コレクションするなら徹底的にやらねばならぬ。

 今日読んだのは、きのうに引き続き、淡島寒月『梵雲庵雑話』(岩波文庫)
 寒月は、玩具の蒐集もしていたという。
 だが、関東大震災で、せっかくの蒐集品がすべて焼けてしまった。
 負け惜しみではないだろうが、寒月は、それを惜しいとは思わなかったという。
「虚心坦懐、去るものを追わず、来るものは拒まずという、未練も執着もない無碍(むがい)な境地が私の心である」

 かっこいいねえ! 一度でいいから、こんな科白をはいてみたいものだ。

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