日本は仏教国ではなく、実は儒教国である、という見方がある。
多くの日本人は寺の檀家で、仏教式の葬儀をするではないかと思える。
ところが、元々の仏教思想の核は、輪廻思想だ。死んだら、また何かに生まれ変わる。
とするならば、たとえば、お盆のような習俗はいったい何であろうか。
だって、死んだら生まれ変わるのだったら、お盆でお迎えする祖先というのはいったい何なのだ。もう別のものに生まれ変わっているのでしょうが。
もっと、ひどいのは、霊能者と称する人が、「あなたの前世は○○だ」とかいいながら、「お墓が荒れているので祖先が怒っている」などと平気でいうことだ。
人が誰でも生まれ変わるのなら、怒っている祖先て何してるのよ。とっくに生まれ変わってその辺を歩いているはずじゃないの!
このような矛盾は、日本の仏教が儒教化した仏教であると考えると説明がつく。
位牌なども儒教の習俗が入り込んだものだという。
以上は、加地伸行『儒教とは何か』(中公新書)より(おぼろな記憶で間違っている点があるかもしれないが)。
今日は、読書の時間がとれそうもないので、最近読んだ本のなかから。
浅野裕一『儒教 ルサンチマンの宗教』(平凡社新書)。
平素は偉人のように扱われている孔子が、実は天子にあこがれながらも挫折した落ちこぼれであり、その怨念が、後に儒教を成立させる原動力となった。
一般に考えられている孔子像とは180度違う孔子像が見えてくる。
孔子様でさえ落ちこぼれだったのなら、私が落ちこぼれたとしてもしょうがないなあ……。