« 母の螢 | Main | はげまして はげまされて »

2012.07.11

校門の時計だけが知っている

大津市立皇子山(おうじやま)中学校のいじめ自殺事件は、
ますます、波紋を広げている。

すでに、加害者側の生徒や両親の名前も、
ネットでは広まっている。

凄惨ないじめの実態も明らかになりつつあるが、
いまのところ、どこまでが事実か、
当事者以外は確かめようもない。

それにしても、学校や教育委が、いじめの実態を
隠そうとする体質がまったく変わらないのは、
いかなることか。


おりしも、2005年埼玉県、北本市立北本中学校で
起きた、女子中学生いじめ自殺事件で、
遺族が市と国に損害賠償を求めた裁判に
敗訴したというニュースが流れた。

この事件も、しかりである。


私は、個人的には、かつて呉智英師の述べた、
いじめられたほうが自殺するなんて馬鹿げている、
自殺するのなら、いじめたやつを殺せ、
殺しても少年法が守ってくれるから、
という意見に賛成である。


●『校門の時計だけが知っている 
      私の[校門圧死事件]』
  細井敏彦(草思社) 1993年刊

1990年、遅刻しそうになった女子高校生を、
教師が鉄の門扉を閉めて圧死させた事件を
覚えているだろうか。
このような悲劇がなぜ起こってしまったのか?

この本は、その加害者教師の弁明書である。
著者は、これまでの教師人生を、この事件だけで
否定されるのは、何より悔しいという。

当時、マスコミでは、「管理教育」に対する
批判が大々的に行われたが、私は、一元的に
管理教育を否定できるものではないと思う。
実際、「荒れている」学校は、まったく管理する
側のあきらめによると考えているからである。
いじめ問題も例外ではない。


しかし、この書は、何より著者のマスコミに関する
怨嗟の声に満ち溢れている。
気持ちがまったくわからないでもないが、
亡くなった女子生徒や遺族の気持ちを考えるなら、
いかがなものか。
黙するという祷りもある。
それがもう語ることさえできない
死者への弔いだと思うが如何。

|

« 母の螢 | Main | はげまして はげまされて »